6.17.2011

葦になりたい。



風呂場という空間は考え事をするのにうってつけの場所だと思う。
くだらない駄洒落や真面目なことなど様々なことに思いを巡らせられる。
シャワーを浴び続けながら悩むこともざらにある。
しかし、風呂場を出た途端にほとんどのことは曖昧なものと化してしまう。
おそらく風呂場で結論がでて、昇華してしまうんだろう。

自分は余裕を大事にする。
何事にも余裕をもちたい。
必死になりたくない。
だから必死になった途端にパフォーマンスが下がる。
必死になった経験が少ないのかもしれない。
必死に余裕をつくることは可能でも、
土壇場で必死になって物事を解決することを自分は不得意とする。

余裕をもつというのは色んなことにあてはまる。
例えば、勉強という点において。
いわゆる”テスト”というものに自分は
抜かりなく準備をした場合、きっちり結果をだす。
(まぁ、当然の話と言ってしまえばそれまでだが)
ただし、準備が出来ていない場合は全く駄目駄目である。
(これも当たり前の話と言えば当たり前なのだが)
自分はことさら出来ないのだ、準備がないと。
それが土壇場で必死になれないのだ。

少し話が脱線するが、試験勉強や資格取得の為の勉強というのは
例外を除き誰でもある基準を超える勉強量をすれば、
それに比例して結果がついてくる。
しかし、受験勉強というのは自分以外の”相手”がいて
”相手”よりも上にいかねばならない。
スポーツもまた然り。
自分は後者が苦手である。
なぜなら、後者は先ほど述べた土壇場で必死になることが多いからだ。

これから先、
今自分に欠けているモノが必要になってくると思うと
憂鬱になってくる。

余裕が欲しい。
風呂場でそう思った。

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